2009年3月17日火曜日

ぬるま湯になれる

最近悶々と考えていること、

「なぜリスクをとらないのか?」

「なぜチャレンジをしないのか?」


なぜの前に「若者」って言葉が入るかもしれないけど、それは何様という感じになるので省略。

ある友人が大学を出て芸の道に行くという。世間的に言ういばらの道。

そんで他の友人は「大学院に残るように」とか、「やめとけ」とかいうアドバイスを投げかける。

僕はもちろん「やりたいことがあるんなら、イケイケどんどんや!」

自分のことじゃないけど、「大学院に残ったほうがいい」というアドバイスは納得出来なかった。
それを言った友人によるメリットは、①やめたときに帰るところがある、②しかも修士を出て新卒であれば就職に有利で給料もいい。

(念のために書きますが、僕の考え方は世間的には大変偏ってます。)

どうでしょう?

僕にとって上の意見は、若くして既に後ろ向きで、他力本願に感じる。


まず第一に考えるべきは、「どうやったらその道で成功するか?」 だろう。



挫折した後のことは二義的なはず。そもそも失敗することを考えることがダメって言ってしまうと精神論だが、失敗することばっかり考えているのはやはりマズイと思う。

必要のないリスクをとらなくてもいい、たしかに一理ある。

が、

失敗する可能性が高いとわかってるから挑戦する価値があるんじゃないだろうか?そして、若いうちに失敗することは悪いことだろうか?無難な道を歩むより、失敗をすることで多くのことを学べるんじゃないだろうか?

「失敗するとわかってるが、あえて失敗する。」 これぐらいの心持でちょうどいい気がする。

どっかの記事で日本のサッカーが「なぜシュートを打たないか?」ということを引き合いに出して、日本人のリスクヘッジの悪い点を指摘してあった。

日本はサッカーでパスばかりして、シュートを打たない。なぜか?

シュートというのはサッカーの中で最も失敗する可能性の高いプレーである。しかし、日本人はリスクを恐れ、みんなでゴールから繋いできたボールをシュートできずパスする。みんなの責任を引き受けることに慣れていない。パスを受けた選手もリスクをとれずまたパス。そうやってボールを取られる。

サッカーのシュートと同様に、リスクを踏まえて挑戦することが重要だ。そして果敢に挑戦した人が失敗しても、その失敗に対して拍手を送れる懐の広さが周りの人には必要だろう。



次に、就職に関して。これは大問題。

前から「就活」という言葉は大嫌いだった、もちろん理由はある。


日本の教育システムとくに大学まで行くような学生は、高校受験(人によっては中学受験)、大学受験という横一線の競争を強いられ、個性は受験の足を引っ張るばかり。

そして、やっと大学で自由にものを考え、行動する機会が与えられた。


というのもつかの間。数年後、

デーモン「シューカツ」の登場。またまた横一線の戦い。


受験情報誌ならぬ「シューカツ情報誌」が出回り、つけやきばのセミナーの数々。

まあ、この時点ではある程度大人だから、価値観がぶれない人もいると思う。


高校の時、理学部の教授が講演にきて言った言葉を思い出す、

「高校生は受験勉強で頭をローラーでならされたみたいにカチカチになって大学に入ってくる。大学ではまず頭をほぐすところから始めないといけない。」

要するに後でほぐす必要があるんだから、極端な話、受験的な勉強は必要ない。

さらに、せっかくほぐれた頭をまた「シューカツ」で固めちゃうのはいかがなものかと。
もっと多様なアプローチがあってもいいんじゃないかな。

「いや、就活もいろんなことが勉強できるよ」と言うかもしれないが、

枝の先が長い短いと小手先の議論してもしょうがなく、木は根っこから全体を見ないといけない。

ついでに「婚活」という言葉が流行ってるけど、あれは愚の骨頂。。(結婚までみんなと一緒に??理解に苦しむ)



さっきの修士を出て新卒・・・の話に戻る。

僕は「そこで何かをしたい!」という動機に欠けたまま、「とりあえず修士」や「いい企業に入りたい」というのは虚構だと思う。つまり、学歴や企業の看板に全面的に寄りかかっている姿勢である。本当は、順番が逆だろう。

「何かやりたいことがある」から大学院やら企業に行くんでしょう。修士を新卒で出たら、いい企業に入れて給料もいい、という考え方は、「何かを勉強するため」に修士に行き、「何かしたいことをするため」に企業に入るということの真逆である。

ただ、修士を持っていると給料がいいのは事実かもしれない。しかし、正にそれが他力本願なんだと。
何もしてないのに虎の威を借りて、いい給料を貰ってうれしいのか?プライドはないのか?と言いたい。そして何より修士の2年を別のことに打ち込むなり、もっと有効に使ったほうがいい。

また、そういった他人に寄り掛かる考え方は社会全体の足を引っ張ると思う。仮に大学生4年生(数百万人くらい?)全員が動機を欠いたまま、無責任に就職やら進学をすれば、社会の大変なお荷物になる。

自分ひとりなら邪魔にはならないかもしれないが、甘い考え方は大きな規模だと悪影響を生むということを留意したい。最近の大麻問題と同じ、自分だけだからいいだろ?じゃ、まずいでしょ。


就職に関しては、自分の行動に対する責任を組織に属することで薄めてしまっている。もしくは薄めたい。そういう気持ちが見え隠れする。

昔、映画で(Road to Perditionだったと思うが・・)

「大人になるというのは、自分のとった行動に自分で責任をとることだ。」

という言葉が印象的だった。その通りだと思う。

あくまで組織というのは自分の隠れ蓑ではなく、あくまで一つの活躍の「場」だろう。責任ある個人が集まることが健全な組織だと、勝手ながら思う。

自分もあることだから自戒も込めるが、最初は熱かった組織のお湯が、気づいたらぬるくなっていることはよくある。そこでつかり続けるか、それとも外へ飛び出すか判断が別れるとこだろう。


あれこれ話が飛んでいるが、最後に「なぜ東大でノーベル賞がとれないか」という記事について。

簡単に言うと、東大に入ってしまうと守りに入ってしまいリスクをとらなくなる(何とかリスクの話まで舞い戻ってきた・・)。成功の可能性を多大に含む学生たちだが、周りへの秀逸感から外へ目が向かない。

「なぜ東大をでる必要があるの?」ということだ。信じられないことだけど、東大ではいまだに四行教授というのがステータスとして幅を利かせているらしい。四行教授とは履歴書が「東大卒、東大助手、東大準教授、東大教授」で済む人々。よく言えば純粋培養、悪く言えばぬるま湯。ちなみにノーベル賞を取った人に四行教授はいない。さらに言えば東大を研究拠点にしてノーベル賞を取ったのは小柴さんだけ。

再び、「なぜ東大をでる必要があるの?」

答:「富士山だけじゃなく、エベレストやK2を登りなさい。」


富士山にはそこにしかない味がある、と言われたら返答に困るけど・・・


そう、外へどんどんチャレンジすること、そういった経験は大きな強みになる。しかし結局、これは事後的に言えることであって、論理的に説明し納得させられるものではない。最後は体育系に任せて、「つべこべ言わずに挑戦しろ」とでも焚きつけなきゃいけないのかな。


しかし、ゴールを決めたければ、

大きな仕事をしたければ、


リスクヘッジに奔走するのではなく、


リスクをとろう。


そういう人が増えたら、社会はもっともっと面白いだろうな、と最近は切に思うわけです。


長くなった・・・・、推敲やめよう。

今度こそ、四年間の総括をするぞ!

4 件のコメント:

なつこ さんのコメント...

なかなかタイムリーな話題ですなー。
あ、まずはあたし例の会社に行くと決めて就活はほぼ終了させました。

リスクについて。
あたしもとびちゃんに同感です。
あとは、やりたいことややらなければならないことに、それに対応する時間軸があるんだろうな、と思う。
院へ行く話は時間軸が見えてないのかな、と最近あたしの周りにもよく似た人がいたので思い出しました。

日本の就活はおかしいよ。
先日始めて日系企業の面接会場へ行ってちょっとひいてしまったよ。
みんな同じ格好をして、横並びで、なんだか自分が岩崎奈津子ではなく、Aとか1とかなんか記号になった気分ですごく嫌でした。

あ、なんか長くなっちゃったね。
でもあれだね、やっぱり自分が何を求めてるのか、何を欲してるのかはリスクや他のなによりも優先して考えるべきだよね。

慎重に考えることはしながらも、いつまでも挑戦できる人間でありたいと思います。

Tobiokande さんのコメント...

シューカツお疲れさん、改めておめでとう。

そうそう時間軸というか社会的な身分というか、そういったものは「動機・目的」に付随するものだよ。自分も社会的な身分にとらわれて行動しているときもあるけど、なるべく社会っていう枠組みに自分を規定されないようにしたいね。

記号になるっていう例えはうまいね~。若造が言うのもなんだけど、会社が適切に人材を見ていないから、大学教育が軽視されて骨抜きになるし、受験戦争もなくならないんだと思う。

なんかリクルートスーツで右往左往してる人に「お前は何者で、何を考えている!?」って真剣に問いたい気分だよ。

いかんいかん、過激思想みたいになってきた。笑

光俊 さんのコメント...

俺も本人にはその道を極めて成功してほしいとは思う。そして、確かに芸の道一本の方がかっこいいし、素晴らしいことでもあると思う。ただ、芸の道と大学院(休学)はトレードオフじゃなくて、少なくとも1,2年は共存できる関係にある。これを無駄にする必要は全くないはずなんだよね。

他力本願や虎の威に関しては、本人の実力が認められた上で大学院から合格ももらっているわけだし、修士という号も自身で得るもので、それを企業が評価するのはなんらおかしくないよ。

いずれにせよ、こういう話をまた会った時にしたいね!

Tobiokande さんのコメント...

光俊コメントありがとう!ははーん、バレちまったか~。

芸の道に絞るって言うのは、その通り"かっこいい"だけであって、何の裏づけのある行動でもないのは間違いないね。

ただ違和感があるのは、何のために大学院に行くのか?という目的意識が欠けている点。もし道が逸れても、2年間は別の何かに対して費やしたほうが生産的だと、おれは思う。新卒や学歴うんぬんはあまり重要ではない。

んで他力本願のとこはより一般論になっちゃってるんだけど、要するに院試の「合格」が重要なんじゃなく「修士で何をやったか」が重要なんだと思う。成果を評価するのは正当だけど、修士号っていうのを横に並べて評価するのはフェアじゃないかな。いずれにしても、企業側が時間の節約でそうなってしまうんだろうけど。

他力本願・虎の威ってのは日ごろから感じることで、あんまりS君とは関係ない。所属意識が強すぎると、(かつての)東大みたいに莫大な研究費をとっても世界的な研究成果がなかなかでない、ってことになって社会の足を引っ張りかねない。これを言いたかった。(この元ネタの記事は黒川清さん、ぜひ読んで欲しい。)

まあ基本的に光俊やおれ他にも色んな考え方があるのはいいことだと思う。

大事なのは、自分のアンテナで情報を集め、"自分で考え"、道を拓いていくことだと思うんだな。(結局、そこでリスクをとるかどうかは好みの問題。)

また議論しような。ただ同窓会では勘弁しろよ。笑