2011年5月15日日曜日

宮城、七ヶ浜町でのボランティア

3月に震災があって、全学での卒業式・入学式もキャンセルになり、なんだか季節感がない状態でした。

3年住んだ宮城で大地震が起き、津波がきて、友人知人と連絡がとれない日が数日続いた。そして、原発が危険な状態になり、震災のニュースをほぼ食ってしまった感じがあります。

震災そして復興について、また原発について、色々考えさせられました。

今は余震もだいぶおさまり、暖かくもなり、だいぶ落ち着いてきたような気がしてました。

そこで、ゴールデンウィークの5日間、宮城でボランティアをしてきました。
場所は七ヶ浜町という沿岸部の町です。仙台市からは多賀城市を過ぎた先にあり、車で約1時間ぐらいでした。

これについて色々と書きたいことはあるのですが、あんまりまとまってないので感想を先に述べると、

「今は余震も落ち着いてきたので、4月は原発のことが一番気になっていたけど、被災地域を目の当たりにすると震災がまだ続いているのを痛感した。

ただ、多くの家が流されたところで作業しても、あまりに非現実的だから、ほんとにここで何が起きたのかは理解出来なかった。現地に住んでいる人と話すにつれて徐々に痛みは伝わってきたが、それでもぼかーんと心に穴が開いてる感じが続いた。

そんな状態でも、間違いなく言えるのは、新聞やテレビは取り上げないかもしれないが、どっから手をつけていいのかわからない程やるべき事が山積していて、それをやるには人手なりお金なり助けが必要だということ。沿岸部の町並みを見たら誰でもわかると思う。」


僕は全国大学生協連合が主催するボランティア活動に参加しました。仙台にある大学生協のボランティアセンターに全国から同じように大学生・大学院生が集まり、そこから毎日被災地域に足を運び、そこで、また現地のボランティアセンターの指示に従って動くという形でした。

何かできないか、というモヤモヤした気持ちを持った大学生達が全国から集まり、そのうち3,4割は関西からの参加者で、夜行バスを乗り継いで仙台 まで来ていました。ほとんどの人が東北にゆかりがなく自己紹介などで参加の経緯などを聞くと、熱い気持ちを持った大学生って結構いるんだなと驚きました。

そして、約70名の参加者の中で博士が自分だけで、参加期間を通して年長者として頼られたのにも驚きました。ふだん研究所では最若手層にいるので、なれないポジションでした。

やったことは1日目は海岸のがれきの撤去、2・3日目は個別の家訪問、最終日は通学路の整備。他にもボランティアセンターの業務改善もやってました。

海岸のがれき撤去や通学路の整備は、想像される通り力仕事や清掃でした。
個別の家訪問というのが難しい仕事でした。これは地図をもってエリアごとにボランティアの調査員が地図上にあるすべての家を訪問し、家と住民の状 況を調査して、どんな助けが必要かという需要を掘り起こす作業です。ボランティアが多いゴールデンウィークならではのローラー作戦でした。

海岸沿いの集落を担当したのですが、家は7割ほど流失している状態でした。人を見かけても避難所にいて一時帰宅してる人ばかりでした。損壊した家の前で、
「大丈夫ですか?必要なものは、手伝えることはありますか?」
と聞くのは心苦しいものがありました。自然な会話から需要を聞くというのが最初はとても難しく、なれるのに少し時間がかかりました。
こうやって需要を掘り起こすことに並んで、お宅を訪問して話を聞く事自体にも大きな意味があったと思います。関東や関西から人が来ていて、自分たちの町を気にしてくれているということが伝わるからです。

これが一番震災を実感する仕事でした。

中途半端だけど、とりあえずここまで。

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